概要・歴史
概要
名称
一般社団法人新潟馬主協会
所在地
〒950-3301 新潟市北区笹山3490番地
電話番号
025-259-5857
代表者
会長 吉田 晴哉
設立年
昭和41年6月9日
構成員
会員数 244名、理事数8名、
監事数: 3人、常勤職員数: 2人
目的
競走馬の繋養を奨励し、
競馬に関する健全な趣味を養い、
中央競馬の発展と地域社会福祉に寄与すると共に、
会員相互の親睦及び共助を目的とする。
事業
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競走馬の繋養の奨励
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会員相互の研修
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会報及び研究資料の配布
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馬事文化振興事業
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地域社会福祉に関する事業
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その他本会の目的達成のために必要な事業
役員名簿
歴史



明治29年
新潟県内にいくつか競馬団体ができ
競馬が行われるようになる。
明治40年
新潟市の「北越競馬会」が各団体を統合し
「越佐競馬会」を結成。
市内関屋町に競馬施行に必要な設備が完成する。明治41年
9月6日から4日間第一回競馬を関屋競馬場で開催。
明治43年
越佐競馬会は、「新潟競馬倶楽部」と改称される。
大正12年
競馬法が制定され、馬券の発券が正式に認められる。
大正13年
競馬法に基づき馬券の発券を伴った競馬が
6月13日から3日間開催され、
以降毎春秋1回の開催が続く。昭和12年
競馬法の改正により、全国11競馬倶楽部が合体して、
日本競馬会新潟競馬場となる。
昭和18年
太平洋戦争の激化により、競馬場の機能を閉鎖し、
施設いっさいが陸軍軍医学校に提供される。
昭和23年
競馬法改正により、日本競馬会は解散し、
国営競馬(農林省競馬部)となる。
昭和24年
国は新潟県に対し、
競馬場設備の使用を認め地方競馬を開催する。
昭和29年
日本中央競馬会法が交付され、
特殊法人日本中央競馬会の発足に伴い
日本中央競馬会新潟競馬場となる。
昭和39年
信濃川関屋分水事業に関連して、
競馬場敷地を居住者の代替地として
新潟県に提供することになったので、
県下北蒲原郡豊栄町(現在の新潟市)地内に
競馬場建設を着手する。
昭和40年
新しい競馬場が完成し、7月10日から8日間、
中央競馬が開催される。
農林水産省賞典新潟記念(GⅢ)創設。
昭和41年
社団法人中央競馬新潟馬主協会創立。
初代会長に笹加津恵就任。会員数21名。
関屋記念(GⅢ)創設。
昭和45年
二代会長 堀内悦夫就任
昭和46年
三代会長 等々力英男就任
昭和48年
メインスタンドが改築される。障害馬場を設置。
昭和51年
勝馬投票券の発売方法を
トータルゼータシステムにより機械化した。
昭和52年
古川排水路と市道付替に伴い、
下見所改修と屋外表示装置の新設を実施。
昭和54年
四代会長 上原正良就任。
新潟大賞典(GⅢ)創設。
昭和56年
新潟3歳ステークス(GⅢ)創設。
昭和48年
メインスタンドが改築される。障害馬場を設置。
昭和58年
新潟サービスセンターおよび新潟電話投票所開設。
昭和59年
映像伝送システム設置。これよりレースが
場内テレビで観戦できるようになった。
昭和60年
厩舎全面改築。調教用地下馬道新設。
新潟競馬20周年記念式典。
昭和62年
入場門側スタンド改築工事着工。
当協会会報「夢を追って」創刊。
昭和63年
五代会長 百々猛就任。
アイビススタンド竣工。
平成元年
ターフビジョン設置(大型映像装置)
平成2年
美浦トレセン研修。
馬主懇親会を開催。
ダートコース路盤改修。
平成3年
栗東トレセン研修。
平成4年
根岸・馬の博物館研修。
馬番連勝発売に伴う新オッズ表示装置設置。
レストスペース公園拡張設備工事竣工。
平成5年
新ターフビジョン竣工。
阪神競馬場研修。
平成6年
函館競馬研修。
平成7年
新潟競馬場30周年記念式典
記念樹として「月桂樹」を植栽。
平成8年
日高軽種馬育成調教センター研修。
平成9年
ソウル競馬場研修。1,000m直線コース新設に伴う
外周道路新設工事を発注。
「競馬ファンの集い」を初開催
平成10年
1,000m直線コースの部分工事を先行着手。
京都競馬場研修。