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一般社団法人

新潟馬主協会

Owners Voice Vol.02 前川 則久・須賀 利行

更新日:10月6日

気鋭の馬主の声を届ける、Owner's Voiceの記念すべき2回目の今回は、馬主として約40年のキャリアを持ち、新潟馬主会共有馬委員会の委員長を務める須賀利行氏と、長らく三石軽種馬共同育成センターの代表を務め、一昨年に馬主資格を取得した前川則久氏をお招きし、新潟馬主会に入った経緯から、馬主としての思い出、共有馬についてなど、たっぷりと語ってもらいました。 司会はフリーアナウンサーの梅田陽子氏です。


聞き手:梅田陽子(フリーアナウンサー)


左:梅田 陽子/中:前川 則久/右:須賀 利行
左:梅田 陽子/中:前川 則久/右:須賀 利行

前川:馬の世界を楽しみたくて

須賀:飯塚会長に誘われて


梅:まずは新潟馬主会に入られた理由を教えてください。


前:30歳ぐらいから35年間、競走馬の育成の仕事に携わってきました。65歳になり、そろそろ定年の時期を迎えるので、ここからは自分で馬の世界を楽しみたいと思い、2年ほど前に馬主の名義を取得しました。申請書類の希望する馬主会の欄には、地元ということもあって札幌馬主会と書きましたが、もともと札幌には入るつもりはなかったんですよ。


梅:え、何か理由があったんですか?


前:仕事でお会いする方が多かったですから、65歳になってから新しく始めようという感じがしないと思ったので(笑)。だから全然知らないところに行きたいと考えたのですが、入会案内が送られてきたのは札幌以外では新潟馬主会だけでした。以前から知り合いだった会員の佐野(信幸)さんが「新潟は和気あいあいとして面白いよ」と言ってくださり、セリのときに佐野さんに飯塚会長と事務局長を紹介していただいてご挨拶したのがきっかけでした。その後パンフレットを見て共有馬をやっているのも面白いと思いましたね。それから入会することになり、まずは共有馬を1頭持つことから始めました。家族的な雰囲気で、気楽に楽しませてもらってます。


梅:馬主を楽しみたいという思いが伝わってきますね。須賀さんはいかがですか?


須:私は飯塚会長がきっかけですね。「こっち(新潟)に来ない?」と誘われて入りました。前川さんが言われたとおり、みなさん和気あいあいで楽しいですよ。気を遣わないのがいいですね(笑)。


梅:このコーナーに登場していただいたみなさんが、新潟馬主会のよさについて「ファミリー感がある」と口をそろえておっしゃっています。


須:それは飯塚会長の人柄ですかね(笑)。



前川:獣医から競走馬の育成を経て馬主へ

須賀:初めての競馬観戦で馬主になると決意


梅:前川さんは馬主になられて約2年とのことですが、これまでどういったお仕事をされてこられたんでしょうか?


前:父が競走馬の生産をやっていました。大学を卒業してから獣医として競馬の世界に入ったのですが、その後、育成の仕事に携わるようになりました。


梅:子供の頃から馬が近くにいたわけですから、その頃から馬の仕事に就くという意識はあったんですか?


前:全くありませんでしたね(笑)。高校に行ったときも、獣医になろうと思っていたわけでもなく、弁護士や法律関係の仕事がやりたかったんです。でも勉強しているうちに、親や学校の先生から「獣医を目指してみないか」と言われて、それで大学に行ったんです。それから獣医になって6〜7年ほどは、年間の半分が北海道で父の種馬事業の手伝い、残りの半分が川崎競馬場で獣医の仕事をしていました。そのうちにJRAが強い馬作りを掲げて全国17カ所の共同育成事業が始まり、そのときのモデル事業でうちの育成場ができたんです。当時僕は競馬場で獣医を続けるつもりだったんですが、育成場をやる人がいなくて北海道に戻りました。


梅:導かれるようにして戻られたんですね。


前:そこから育成の仕事を始めました。それまで競馬場で馬を見ていたから、それなりに馬の見方はわかっていましたが、育成の仕事はやりながら覚えましたね。当時は「育成場」の看板がかかっているようなところでも、ちゃんと乗っているところは少なかったです。


梅:どういうことですか?


前:今とは全く違う35年前ですから。みなさんまだ、競走馬をどう仕上げて競馬場に連れて行き、どうやって競馬をさせるのかということをあまり考えられていませんでした。ただ馬を養い、競馬場に送る。競馬場でやる前段階としての育成牧場というだけで、当時は何も手をかけてなかったんですよ。だから開業して一番面白かったのは、ちょっと手をかけただけで勝ち鞍がどんどん増えていったことですよね。


梅:とてもやりがいがありますよね。


前:初年度から3年目ぐらいまで、大体年間30勝ぐらいしました。ミホノブルボンが1期生になりますね。その後、バブルが崩壊して競馬も低迷した時期がありました。日本の競馬のさまざまな状況を見ながら、ここまでやってきました。


梅:35年間、立ち上げから現在まで、いろいろなことがあったと想像できます。須賀さんはどんな経緯で馬とのつながりをお持ちになられたのですか?


須:僕は最初、馬には全然興味がなかったんですよ。20代の頃、後輩と中山競馬場に行って馬を見たときに「馬ってきれいだな」という印象を受けました。ジョッキーが派手な勝負服を着て馬場に出ていく姿を見てもかっこいいと思いましたし、勝った後にウイナーズサークルでオーナーさんが口取りしている姿を見て、こんな記念写真が撮れるなんて羨ましいと思いました。その後、馬主になるにはどうしたらいいのかと思い、中山競馬場の業務課に電話しました。僕は競馬界に全く知り合いがいなかったので、「馬主になりたいのですが、どうしたらいいですか?」と聞いたら、「申請用紙がありますから取りに来ていただけますか」と言われ、業務課に行って申請書をもらいました。そのときに「調教師さんはご存じですか?」と聞かれて、初めて預託厩舎のことを考えなければいけないと知りました。当然調教師の知り合いなんていませんでしたが、たまたま福島競馬場でパドックを見ていたら、矢野照正先生がいらっしゃって、若い先生なのでこの方ならお願いできるのではないかと思い、今度はトレーニングセンターに電話をかけて、矢野先生の厩舎に飛び込みで伺いました。


梅:すごい行動力ですね!


須:いきなり「この世界に知り合いがいないのですが、馬を預かってもらえませんか」とお伝えしたら、先生はすごく驚いておられました。当時は先生も開業したばかりでブラックスキーがいた頃でした。奥様が「うちも開業したばかりだし、預かってあげたら」と言ってくださって、預託をお願いできることになりました。37、38年前の話です。


梅:それから実際に馬主となられたわけですね。



馬主デビュー戦の悲しみを乗り越えて


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須賀利行

1987年12月11日にスロクマルで3歳未勝利を制して初勝利を挙げ第48回皐月賞の出走を果たす。

2011年 新潟馬主協会に入会し、理事・資源委員長を務める。


須:はい。今度は馬を買わなきゃいけないということになって、テレビで知った日高で開かれているセリに、弟たちを連れて出かけていき、そこでダイアトムの産駒を競り落としました。初めてのセリで、いきなり競り落とすことができて嬉しかったのですが、他の参加者の方からは「あの若い奴、誰なんだ?」と思われていたかもしれません。


梅:新しく来た人がいきなり競り落としたんですからね。それから矢野先生の厩舎に預けられたんですね。


須:後から矢野先生に「セリで馬を買いました」って報告したら、また驚かれましたが、預かっていただくことになりました。スロクボーイという名前で、正月の金杯の日にデビューしました。デビュー戦は中野栄治さんに乗っていただいたんですが、4コーナーから直線に向かうところで馬が骨折して、ジョッキーが落馬したんですよ。スタンドから見ていてジョッキーは大丈夫だとすぐわかったんですが、隣にいた矢野先生が「馬はダメですよ」とおっしゃって。その後、診療所に行ってスロクボーイの最期の姿に立ち会いましたが、やはり辛かったですね。 それから「須賀社長、これが競馬ですよ。これで競馬をやめますか?続けますか?」と言われました。僕はすぐに「やります」と答えました。


梅:愛馬の死を見ても迷いなく馬主を続けようと思われたのは何か理由があったんですか?


須:「こういう経験をしたからやりたくない」ではなく、「これを乗り越えていこう」という思いがありましたね。


梅:馬主さんとしてのスタートは辛いものだったんですね。


須:その後、浦河で買ったスロクマルという馬が1987年9月5日に函館でデビューしました。初戦2着でその後も5着、2着、3着、4着となかなか勝てなくて、12月5日に中山で走る予定でしたが雪で開催が中止になったんです。翌週金曜の11日に代替開催があって、そこに出走することになったのです。後になって「今日はオーナーの誕生日だからスロクマルを勝たせてあげよう」とみんなで話していたと伺いました。それで厩舎一丸となって、私に初勝利をプレゼントしてくれました。矢野先生、中野騎手、内田厩務員さんには感謝感謝です。あのとき、どうやって、ウイナーズサークルに降りていったのか、興奮していて全く記憶にありませんでした。


梅:馬主さんになられてから何年目ぐらいでした?


須:5年ぐらいですね。2月14日は中野栄治さんの息子の翔君の誕生日でしたが、その日に2勝目を挙げることができました。それから皐月賞にも出走しました。ヤエノムテキが勝った時ですが10着でした。


梅:やはり一番思い入れがある馬はスロクマルでしょうか。


須:はい。ものすごい経験をさせていただきましたね。


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須賀さんの思い出の一頭は、「スロクマル」。父:バンブーアトラス、母父:リマンドという血統だ。

写真は1988年2月14日4歳400万下(現3歳1勝クラス)を中野栄治騎手(現調教師)を背に、優勝をした時の口取り式。



難しさがあるから競馬は面白い


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前川則久

2021年に中央競馬の馬主資格を取得。

2022年に新潟馬主会に入会し、令和5年度共有馬スターリアイド号共有代表者となった。

兼ねてから、競走馬育成施設である三石軽種馬共同育成センターの代表を務めている。


梅:前川さんから見て、馬の魅力はどんなところですか?


前:単純にかわいいし、見ていて気持ちがいいですね。僕は生まれたときからずっと馬を見ているので、他のオーナーさんたちとも感覚が違うとは思うんですけどね。馬って、生まれる前からすでに能力が決まっているんじゃないでしょうか。馬に携わる人は、いかに馬の足を引っ張らないかを考えなければならないと思います。100%を出させるのではなく、100%の能力の邪魔をしないようにする。能力が100%の馬に110%の力を出させようとすると壊れてしまうんです。


梅:育成されていらっしゃる方の視点ですね。


前:一生懸命やって走らせようと思ってやっても結果がついてこない場合もあるので、そこはちょっと難しいですね。でもその難しさがあるから競馬は面白いんですよ。


梅:お二人は馬のどういうところを見て「この馬はいい」と思うのですか。


前:僕は近くでは見ないですね。10~20メートルぐらい下がって、遠くから見たときの感覚ですよね。セリの時に30頭ぐらいずらっと並ぶんですよ。そういう中でぱっと見て「あっ」と思う馬がみなさん1~2頭いるはずです。


梅:馬同士を比較するということでしょうか。


前:はい、30頭馬がいたら1頭か2頭は「あの馬きれいだよね」や「目がかわいいよね」「毛色がいいよね」といった声が集中する馬が出てきます。そうなるとセリが盛り上がるんですよね。その馬は多分、いい馬なんだと思います。


須:僕は繁殖から始めたんで、最初セリで買ってました。委員長になってからもセリでも購入するんですが、僕も遠くから見ますね。そうすると、馬のバランスが目に入ってくる。その後で近くに行って脚元を見ます。名簿のブラックタイプは先に見ませんね。きょうだいが走っているのを見ると、この子も走るだろうという欲目が出ちゃうんですよ。なので、まず馬の全体を見て、脚元をから徐々に上を見る。その後でブラックタイプを見ますね。


北海道日高郡新ひだか町にある三石軽種馬共同育成センターの代表を務めている前川さん。 獣医師という経験を下地に、自ら馬に触れたり、跨ったりすることもある。



前川:予算のないときは強気で行きます

須賀:共有馬のセリはドキドキしました


梅:新潟馬主会の共有馬であるスターリーアイドを選ばれたときはどうでした?


須:DVDで調教を見て何頭かチェックして、前川さんに電話かけて確認したら、お互いにいい馬だなって意見が一致したんですよ。でも、この馬は結構高くなるんじゃないか、もしかしたら落とせないよねって話をしていたんです。


前:600万円スタートで1500万円で頭打ちぐらいだろうと思っていました。


梅:他に競る方はいらっしゃったんですか?


須:最初はいなかったんですよ。前川さんが「このまま行っちゃうんじゃないですか?」と言ったら、後ろから声がかかったんですよね。


前:3人ぐらいいらっしゃいましたね。途中で1回、800万円ぐらいで落とせそうになったのに、その後にまた来ました。


梅:価格が上がる時ってドキドキするものですか?


前:僕は今まで仕事でお客さんに頼まれて馬を落とすことが多かったので。その辺は感覚的には淡々としていましたね。


須:僕は「もう競ってこないでくれ!」と思っていましたね。上がるたびに「また上がってしまった。大丈夫かな」と不安でした。1000万円以内でなんとか落としたいと思っていたら、結局960万円で行けたんです。


前:「予算のないときは強気で行け」と言うんです。そうすると相手がひるむから。予算があるときはのんびり行けるんですけどね。ないときは、強気で行ったほうが希望した値段で早く買えると思います。自分なりの予算があるので、買えないときは「しょうがないよね」って諦められますし。


須:前川さんはセリでもすごい余裕があるんです。隣にいる私のほうは気が気じゃないんですが(笑)。やっぱり経験を積まれているから余裕があったんだなって今思いましたよ。


梅:落札してから馬と対面したときの印象はどうでしたか。


前:馬自体はDVDでも見ていましたし、前日に厩舎でも見ていましたが、買った後に須賀委員長と二人でもう一度見に行きました。とてもよかったですよ。


梅:どのあたりが気に入られたんですか。


前:馬全体ですね。


須:僕はDVDを見て、走りがすごく軽やかで、力強さもあるなと思いましたね。まだちょっと結果が出ていませんが。


前:新馬戦のスタートがものすごくよかったですね。調教師さんは早いところをカツカツ攻めていくとそういう馬になってしまうので、ゆっくり攻めていきたいとの思いがあるようです。ゆくゆくはダートの短いところに挑戦すればいいのかなと。まずは掲示板をめざしたいですね。


須:僕も動画を見た感じだとダートの1200mあたりがいいかなと思っています。


前:血統背景からすると、ダートのほうがいいでしょうね。1400mまでだと思います。


梅:名前の意味というのは?


前:「みんなの希望を乗せて」という願いを込めました。共有ですから、みんなの星ということで。


梅:共有馬と個人所有馬の楽しみ方の違いのようなものはありますか?


須:共有馬というのは協会の会員さん10人で持つんですけど、共有オーナーのみなさんがLINEでつながるケースもあるんですよ。スターリーアイドではやっていないのですが、ユキノフルマチという共有馬では、代表者の鈴木慈雄さんがLINEで情報を共有しようということで活用していますね。追い切りの情報や調教師のコメントが来たら、すぐLINEでみなさんに送っています。和気あいあいと盛り上がっていて楽しいですよ。



スターリーアイド」は父:デクラレーションオブウォー、母父:Sea The Starsという血統だ。

2023年 北海道トレーニングセールにて1012万円(税込)で落札され、新潟馬主会の共有馬となり、

美浦の鈴木伸尋厩舎への所属が決まった。

2023年8月27日2歳新馬でデビューを果たす。


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Afterword


梅:馬主としての目標を教えていただけますか?


前:それはもちろんレースで勝つこと、まず1勝ですよ。

1勝しないことには次に進めないですね。


須:僕はうちの馬が皐月賞と桜花賞に出ていますが、GⅠにもう一度出走させたいという夢がありますね。

それと、馬主になるときに動機の欄に、世界に通用するような馬を作りたいと書いたんですよ。

その書類は今でも持っています。だからもし、そういう機会があれば海外に挑戦したいです。


STAFF

direction・edit|Kenichi Hirabayashi(Creem Pan)

Writer|Kakeru Hori

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