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一般社団法人

新潟馬主協会

Owners Voice Vol.07 阿部 雅英

  • 8月19日
  • 読了時間: 14分

気鋭の馬主の声を聞けるOwner’s Voice。

7回目の今回は、祖父、父から受け継がれてきた

「ヒシ」の冠名で知られる阿部雅英氏をお招きし、

親子3代にわたる馬主の歩みや、

「ヒシ」の名とともに時代を彩った名馬たち、

そして馬主としての醍醐味など、

様々な話題についてたっぷりと

語っていただきました。

聞き手はフリーアナウンサーの梅田陽子氏です。


右:阿部 雅英/左:梅田陽子(フリーアナウンサー


阿部 雅英

2003年に中央競馬の馬主資格を取得し、

2011年に新潟馬主協会へ入会。

2021年、ヒシイグアスで中山金杯を制し、重賞初制覇を果たす。

その後、同馬は中山記念を2勝し、香港国際競走にも3度出走した。



祖父から3代続く馬主の系譜


梅:まず、新潟馬主協会に入った理由を教えてください。


阿:きっかけは知り合いの馬主さんに誘っていただいたことですね。もともとは祖父も父も東京で馬主をやっていましたし、私もずっと東京馬主協会だったんです。ですから、新潟に縁もゆかりもなかったんですよ。東京をやめて行くというのは違うと思ったのですが、籍は東京に置いたままでいいという話だったので、それならと。仲の良い馬主仲間もすでに新潟に入られていたので、「分かりました」と、新潟に入ることになりました。


梅:実際に入られて、新潟馬主協会の良さはどんなところに感じますか?


阿:新潟はアットホームですよ。全国的に見れば馬主協会も色々ありますけれど、新潟はギラギラした感じの人が少ないです(笑)。共有馬制度もやっていますし、一人で馬を持つのは大変だという方も含めて、ある程度フラットな会というのが私の印象です。


梅:阿部オーナーご自身は、共有馬制度には参加されているのですか?


阿:私は共有馬自体には参加していませんが、共有馬を選ぶ資源委員会には入れていただいています。そこで少し意見を言わせてもらうことはありますね。そういうシステムは、他の協会にはあまりないんじゃないでしょうか。いい制度だと思います。


梅:阿部オーナーといえば、お名前を聞いただけで「あ、ヒシの方だ」と分かる方も多いと思います。馬主としては、阿部オーナーで何代目になるのでしょうか?


阿:祖父が競馬を始めたところからなので、私で3代目ですね。4代目という意味では娘がいるのですが、まだ活動はしていないです。ただ、一応そういう系譜はできつつあります。


梅:お祖父様の代からとなると、何年ぐらいになるのですか?


阿:実質80年ぐらいですかね。まだJRAがない頃からです。子どもの頃は、正直それほど興味はなかったです。ただ、祖父の家には調教師さんや騎手さんなど、競馬関係者がよくいらしていました。当時は自分の厩舎、自分の専属騎手みたいな時代があったらしくて、「ヒシの馬にはこの騎手」みたいな感じだったそうです。祖父の家でよく作戦会議をしていましたね。


梅:お祖父様が馬主になられたきっかけは何だったのでしょうか?


阿:うちの祖父は酒もタバコもやらない、仕事一筋の人だったんですけど、唯一の趣味が博打だったんですよ(笑)。そういう中で競馬にのめり込んでいって、だんだん頭数が増えていったという感じです。仕事としては、木場で木材の仕事を興したところから始まっていて、代々、木材を扱っていました。フィリピンやインドネシアで丸太を切って、製材したものを商社と一緒に日本に輸出する。輸入の窓口をうちが受けて、それを各問屋さんや建築会社に売るという仕事をやっていました。

その関係で、有明や新木場に工場を作ってやっていたんです。ただ、材木は私の代で完全にやめました。工場が必要なくなったので、そこに倉庫などを建て始めたところから不動産の方にシフトしていくわけです。今は不動産、賃貸投資関係の仕事が、代々続けている経営の中でメインになっています。


左:祖父・雅信氏(右端)/右:父・雅一郎氏(中)、雅英氏(右)

祖父・雅信氏、父・雅一郎氏、そして阿部雅英オーナーへ。

親子3代にわたる馬主の系譜は、「ヒシ」の冠名とともに受け継がれてきた。


ケンタッキー州にて、馬とともに写る父・雅一郎氏。

海外の馬にも目を向け、日高やマル外の馬を中心に独自の馬選びを重ね、

その歩みはのちにヒシアマゾンへとつながっていく。


梅:阿部オーナーご自身が、馬主を意識されたきっかけは何だったのでしょうか?


阿:直接的には、仕事の関係でロサンゼルスに駐在していた時です。20代後半ぐらいでした。父から電話がかかってきて、「そっちへ行くから」と。何をしに来るのか聞いたら、馬のセリがあるから運転手をしてくれという話だったんです。

父は、ドラマ『ザ・ロイヤルファミリー』で佐藤浩市さんがやられていた役にそっくりなんですよ。どちらかというと、日高もしくはマル外の馬を中心にやっていて、“打倒・社台”というタイプの人でした。社台さんとは決して仲が悪いわけではないんですけど、そういう人間だったんですね。

当然、調教師さんも一緒に来ますから、セリへ行ったり、夜は父の昔の馬の話を聞いたりしていました。横で聞いているうちに、私自身もなんか面白そうだなと思って、だんだんその気になっていったんです(笑)。それで30過ぎぐらいに馬主免許を取りました。

その時に買いに行ったのが、2代目のヒシマサルだった気がします。初代ヒシマサルは祖父の馬で、2代目が父の馬。そして3代目は、私が名付けました。ヒシマサルという名前は、うちにとって非常にアイコニックなものなんですよね。


梅:初代、2代目、3代目と続いているんですね。歌舞伎界みたいです。


阿:そうなんですよ。4代目ヒシマサルが出るかどうかは分かりませんけど、うちにとっては大事な名前なので、これは!という馬につけたい名前ですね。


父・雅一郎氏の代で活躍した2代目ヒシマサル。

海外のセリにも足を運び、自らの目で馬を選んでいた父の姿は、

阿部雅英オーナーが馬主の世界に惹かれていくきっかけにもなった。



ヒシファミリーを象徴する馬たち


梅:ヒシを語る上では、やはりヒシアマゾンの存在は欠かせないと思います。


阿:ヒシアマゾンは、ファンが非常に多い馬でした。彼女は、父がケンタッキーのセリで競走馬を買いに行ったところから始まっています。ところが、なぜか繁殖馬を買ってきちゃったんです(笑)。それがケイティーズで、ヒシアマゾンのお母さんですね。ケイティーズはその年のセリの目玉だったのかな。アイリッシュ1000ギニーも勝っていましたし、当時で100万ドルでした。それを買って、ケンタッキーにそのまま置いて種付けをして、生まれたのがヒシアマゾンなんです。父としては、自分で選んで、自分で種付けして、生まれた馬が走ったわけですから、最高だったと思います。

当時はマル外がクラシックに出られませんでしたから、俗に言う“裏街道”です。その中でも連戦連勝して、ファンの間でも、桜花賞馬やオークス馬とどちらが強いのかという疑問が生まれますよね。走っていないわけですから。

そのフラストレーションが溜まって…エリザベス女王杯です。当時はマル外が出られましたから、そこで初めて桜花賞馬やオークス馬と激突して、ハナ差で勝った。これもドラマですよね!その辺も含めて、彼女のファンがついたんでしょう。

今でこそエアグルーヴとか、アーモンドアイとか、いろんな馬が出てきましたけれど、当時は本当に牡馬と牝馬の差が歴然とあった時代なんです。短い距離なら勝負になっても、クラシックディスタンスになると厳しい時代でしたから。その中で3年続けてチャンピオンであり続けたので、うちのファミリーにとって一番の顕彰馬ですね。いまだに命日に花が来ますし、今でもファンの方の思い入れを感じます。


父・雅一郎氏がケンタッキー州で出会った

母ケイティーズから生まれたヒシアマゾン。

“女傑”と呼ばれ、牡馬顔負けの活躍を遂げ、

今なお多くのファンに愛される名牝だ。


梅:そして、ヒシミラクルの存在も大きいですよね。


阿:ヒシミラクルは本当に“ミラクル”です(笑)。あれは父が今の北海道トレーニングセールで買った馬でした。当時はタイムを出して売るようなセールだったんですけど、ヒシミラクルは見栄えも良くない、血統も悪い、タイムも出ないという、三拍子揃っていたわけですよ(笑)。

なんで父が買ったのか、本当に不思議なんです。一緒に行っていた調教師さんも、全然いいと思わなかった。父も何で買ったのか分からないけど、手ぶらで帰るのもつまらないからとか、多分そんな意図だったと思うんですよね。

名前をつけないといけないとなった時に、これだけ見栄えも良くない、血統も良くない、タイムも出ないという馬を買ったことがなかったので、「ミラクルでも起こさないと無理だな」と言って、ミラクルにしたんです。


梅:実際にミラクルを起こしてくれました。


阿:そうですね、本当にびっくりしましたよ。何戦しても勝てなくて、ダービーの日に初めて未勝利を脱出したんです。それだって、「1勝すればいいよな」という程度でした。ところが、ひと夏を越したら急に走り出して、なんとか菊花賞の抽選にまでこぎつけたんです。

その菊花賞は父は行かなかったんです。絶対勝てると思っていないし、誰も期待していないわけです。抽選に通ったから、万が一あった時に誰もいないわけにはいかないので、「お前行ってこい」と言われて私が行きました(笑)。


梅:あれは確か、すごい人気薄でしたよね。


阿:とても人気薄でした。そしたら1番人気のノーリーズンが落馬して、波乱の予感がしていたんですけど、最終的には勝っちゃったんですよ。その後も天皇賞・春、宝塚記念まで勝ってくれましたから、本当に名前通りの馬でしたね。

それで今でも覚えているのは、インタビューを受けた時に「ヒシの復活ですね」と言われたことです。「ヒシの復活って何?」と思ったんですけど、ヒシアマゾンの頃から時間が経っていて、GⅠを獲る馬が10年くらいずっと出ていなかった。人はそういうふうにヒシを捉えているんだなと思いました。

その時に、これは「馬主をやるからにはちゃんとやらないといけない」と思いましたね。気が引き締まった感じです。


菊花賞、天皇賞・春、宝塚記念を制したヒシミラクル。

競馬ファンの間で話題となった“ミラクルおじさん”についても、

阿部オーナーはその正体に心当たりがあるようだった。


梅:阿部オーナーご自身の代では、ヒシイグアスの存在が大きいですよね。


阿:私自身の所有馬となると、ヒシイグアスしか重賞を取っていないですからね。ヒシイグアスは、3代目ヒシマサルを買った次の年ぐらいに、セレクトセールで当歳の時に買いました。

ハーツクライに興味があったんです。「ディープは高くて買えない、ハーツだったらどうかな」と言っていた時に、堀調教師にいくつか候補を挙げてもらった中の1頭でした。当歳で、まだバンビみたいなものなのでよく分からない部分もあるんですけど、いい馬体でしたし、狙っていたんです。

ただ、想定より倍行きましたね。5000万円ぐらいで落ちるんじゃないかなと思っていたのが、1億円ぐらいまで行ってしまいました。セリだから、どうしても行っちゃうわけですよ。やっちゃったなと思いました(笑)。

ところが、しばらくは体調的にあまり芳しくなくて、いい報告もあまり来なかったんです。しょうがないなと思っていたんですが、2歳の夏を越えたぐらいから、堀調教師が「意外に年内にデビューできるかもしれない」と言い出したんです。

ジャパンカップの日の東京芝1800mの新馬で使うという話になって、ちょうどライアン・ムーア騎手が来ていたので、彼を乗せると。そういう時に使うということは、それなりの馬じゃないですか。こちらは完全に勝つ気満々でした。その時は残念ながら2着だったんですけど、そこから長く頑張ってくれました。

その後も体調面の浮き沈みがあって、クラシックには乗れませんでした。どちらかというと、本格化したのは古馬になってからですね。4歳から4連勝でGⅡまで行って、香港にも3回連れて行ってくれました。


梅:本当に馬主孝行ですね。


阿:そうですね。長く走ってくれましたから。あの馬には、本当にいろいろな経験をさせてもらいました。

ヒシイグアスで学んだのは、無理をしないことの大切さですね。経験豊富な堀調教師は絶対に無理をさせないんです。今は使う時じゃないとなれば、1年走らせないこともある。

結局、それが後になって返ってくるんですよね。待つことの大切さは、ヒシイグアスから教えてもらいました。


梅:自分の馬で海外へ行くというのは、初めてだったんですか?


阿:もちろん初めてです。この年齢になって自分自身が世界で活躍するというのはピンとこないじゃないですか。だけど、馬は活躍すると世界に連れて行ってくれる。これが馬主をやる一番の醍醐味だという話を、若いオーナーさんにはよくします。


香港遠征時のヒシイグアス。

世界の大舞台へ積極的に挑戦し、

名手ジョアン・モレイラ騎手ともコンビを組みながら、

各国の強豪を相手に存在感を示した。


セリ会場で馬を見定める阿部雅英オーナー。

血統や馬体を確認しながらも、最初に見た瞬間の印象を、

馬選びに欠かせない判断材料の一つとして大切にしているという。



次の世代につなぐために



梅:最近はYouTubeも始められています。きっかけは何だったのでしょうか?


阿:YouTubeをやるきっかけは、個人の阿部雅英から、法人のヒシパートナーズに名称変更したことです。それを皆さんに告知するとともに、馬主の活動に一緒に参加していただくような企画を考えようということで、始めました。


梅:反響はいかがですか?


阿:正直びっくりしました。芸能関係の方がやるのと、我々みたいな全くの素人の一般人がやるのとでは当然違うのでしょうけど、私でさえ競馬場で「サインください」と言われるわけですから(笑)。伝わり方がすごく早いですね。

今、所有馬6頭の馬名募集をしているのですが、1ヶ月の募集期間で、おかげさまで800人ぐらいから来ています。皆さん一生懸命考えてくださって、理由も含めて出してくださっていますよ。ここから選ばなきゃいけないので、それが大変ですね(笑)。

自分で思いつく名前がもう枯渇しているんです。だから、いろんな違う感覚、違う視点で名前を選んでいただけたらいいなと思っています。それを楽しんでもらうのも競馬の楽しみ方の一つなので。


個人馬主から法人「ヒシパートナー」への名称変更を機に、YouTubeでの発信を開始。



梅:そもそも法人化されたのは、どういう理由だったのでしょうか?


阿:個人でやっていると、その方が亡くなった時に残された人が困るわけです。奥さんが継ぐのか、息子が継ぐのか。でも大体は継承しない方が多いので、一代限りの人がほとんどですよね。これを継続性のある形でやるなら、法人組織にしておいた方が、資金面も含めて、いろんな意味で続きやすいだろうと。それを今回やるために法人にしました。

私が死んだ後も、家内でも娘でもいいんですけど、すぐ継げるような形を作った。それが法人化した理由です。


梅:阿部オーナーが、そこまでして馬主を続けようと思われるのはどうしてですか?


阿:私の座右の銘は、「運とご縁」なんです。今の自分があるのも、これまでにお世話になった方々や、一緒に喜びを分かち合ってきた方々とのご縁があったからだと思っています。

そういうつながりの上に、今の私が成り立っているんですよね。馬主を続けていることも、そのご縁の延長線上にあると思っています。馬も同じで、出会う馬にはすべて意味がある。だからこそ、運とご縁を大事にしながら、これからも馬主を続けて、次の世代につなげていきたいと思っています。


梅:その間にヒシイグアスのような、つなげてくれる馬も出てきて。


阿:結果としてね。そういう馬が出てきてくれるわけです。

人生は一度きりですから、何か一つぐらい貫くものがあっても、いいなということで。私の場合は祖父もやっていて、父もやっていた流れを、結果として継いでいる。やり方は時代に応じて違いますけどね。


梅:これから馬主になりたい方に伝えたいことはありますか?


阿:できれば長く続けてほしいですね。馬主になる方は、本業が別にちゃんとあるわけです。そこがしっかりしているから馬主になっていらっしゃるわけで、「まず本業をちゃんとやってください」というのが一番だと思います。

ただ、最近、特にセレクトセールの中に新しいバイヤーさんが毎年来るんですけど、高い馬を買えば何とかなるというものでもない。これは長くやるとみんなよく分かっていることなんですけど、できれば長くやってほしいなと思います。

馬って1ヶ月のものじゃないので。いい時もあれば、そうではない時もあります。そういう時を経験するから、勝った時が嬉しいんですよね。それをやるためには、何年か続けていくということを体験してほしい。そうすると、馬の考え方とか競馬に対する捉え方も変わってくると思います。



Afterword


梅:最後に、阿部オーナーの今後の目標を教えてください。


阿:私も年齢が年齢なので、何十年も先のことは言えないんですけど、やっぱりダービーを獲りたいですね。

実際に獲れるかどうかは別として、“ダービーを本気で獲ろうと思ってやる”ということが大事だと思っています。そういう目標を公言することで、周りの方々にも同じ目標に向かってより真剣に向き合っていただけるんじゃないかと思っています。

調教師さんたちにとっては、それが生業ですから。こちらも真剣に馬を選んで、真剣に預けるという立ち回りをしなければいけない。そう考えると、しっかりとした目標を公言するのが、良いと思っています。



STAFF

direction・edit|Kenichi Hirabayashi

text|Kodai Kuroda

production|Creem Pan

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