Owners Voice Vol.04 猪熊 広次
- 新潟馬主協会
- 1月31日
- 読了時間: 13分
更新日:10月9日
気鋭の馬主の声を届ける、Owner's Voice。
4回目の今回はロジャーバローズで
第86回東京優駿(日本ダービー)を制した
猪熊広次氏をお招きし、
馬主になられたきっかけや思い出の愛馬、
競馬に対する思いや今後の目標など、
さまざまな話題をたっぷり語っていただきました。
司会はフリーアナウンサーの梅田陽子氏です。

右:猪熊 広次/左:梅田陽子(フリーアナウンサー)
猪熊 広次
1999年に地方競馬の馬主資格、2002年に中央競馬の馬主資格を取得。
2003年にブラッドバローズでJRA初勝利を挙げると
2009年にアントニオバローズでシンザン記念を制し重賞初制覇。
2019年にはロジャーバローズで
第86回東京優駿(日本ダービー)に勝利した。新潟馬主協会には2011年に入会。
契約締結のために競走馬を購入!?
梅:新潟馬主会に入られたきっかけは?
猪:JRAの馬主になったのは2002年ぐらいで、元々は東京の馬主会に入っていたんです。それからしばらくして、新潟の飯塚知一会長ともお付き合いするようになり、「新潟に入らないか」とお誘いいただいて入ることにしました。現在は新潟がメインです。
梅:オーナーさんにお話を伺うと、必ず飯塚さんのお名前が出てきますね。
猪:飯塚さんも馬を持っておられて、活躍馬も出しておられましたから、僕からすれば先輩なんですが、やっぱりお話が楽しいですね。馬主会もフレンドリーで話しやすく、距離感が近いです。懇親会や旅行にも毎回参加させてもらっています。新潟では10人ほどで馬を持つ共有馬主もやっていて、それも他の馬主協会とは違う点だと思います。
梅:新潟馬主協会に入られたのはいつごろですか?
猪:2011年ごろだったと思います。当時はまだ会員数が100人もいなかったんじゃないかな。僕も何人か誘ったりして、今では会員数も200人を超えているみたいですね。馬をたくさんお持ちの方と会うと、競馬に関する話を楽しくしていますね(笑)。
梅:読者の方には「バローズ」の猪熊オーナーはどんな方なのだろうと思っておられる方も多いと思います。ご経歴についてもお聞かせください。
猪:中央大学を出て、通信関係の企業に勤めていましたが、そろそろ自分でやった方がいいかなと思い起業しました。当時は携帯電話の販売とコンテンツが中心でした。現在は、携帯の販売事業を売却し、アプリケーションビジネスとデジタルマーケティングに注力しています。日本だけではなくて海外も目指していて、今が第二の創業みたいな形で立ち上げているところです。
梅:馬主になられたきっかけは?
猪:学生時代はシンボリルドルフが三冠を獲った時にたまたま見ていたぐらいで、そんなに競馬には興味はありませんでした。大学を卒業して、社会人になって起業してから、コンテンツ関係のビジネスで契約をする時に、相手の社長がたまたま馬主さんだったんです。それで「2頭買ってくれたらすぐ契約する」と言うので、「買いますから契約してください」と返事して競走馬を2頭買うことになりました。でも馬主に関する知識が全くなかったので、言われるがまま地方馬主になって、大井で走らせることにしました。2000年ぐらいだったと思います。その2頭が結構走っちゃって、5000万か6000万ぐらい稼いでくれたんです。それから馬を20頭ぐらい一気に増やしまして、地方に入れようと思ったら、牧場の方が「もう社長は中央に行った方がいい」と言ってくれて、中央の調教師の先生を紹介してもらって、それで2002年ぐらいに中央の馬主になりました。
梅:そこで中央の馬主になられたのですね。
猪:僕が中央競馬の馬主になる時にご指導いただいたのが、「ヒシ」の冠名で知られる阿部雅一郎さん(阿部雅英さんの父)でした。阿部雅一郎さんはとにかく競馬が大好きで、ずっと馬の話をしているんですよ。30分だけ話を聞く予定が3時間になったこともありました(笑)。僕も馬主になってからはいろんなことを経験しました。夜に牧場に行った時に、暗闇の中で懐中電灯で照らしながら馬を見たり、隣に牛がいるような場所で馬を見たこともありました。そうすると馬がよく見えちゃうんですよね(笑)。馬を見に行った時に包帯を巻いていて、話を聞いたら骨折していたということもありました。とにかくいろんなことがありましたが、阿部雅一郎さんからは「勉強だと思った方がいい」と言われたりもしました。
セリも育成も自ら判断する
梅:好きな馬のタイプはありますか?
猪:最初に馬主になった時は日本ダービーが目標でしたので、ダービーを狙う血統の馬ばかりを買っていましたね。当時は外国産馬の活躍馬が多くいた阿部雅一郎さんの影響もあり、適正距離が長いシングスピールなどがいいと思って、アメリカのキーンランドやイギリスのタタソールなどに行って買っていました。すると、ドバイのシェイク・モハメド殿下から2009年に招待を受けて、「何で招待してくださったのですか?」と聞いたら、「シングスピール産駒をたくさん買ってくれてありがとう」と言われましたね。また、ドバイでは日本では考えられないほどの手厚い歓迎を受け、楽しく過ごすことができ、一生の思い出になりました。
梅:「好きな馬」というよりも「ダービーを目指す」という感じですね。
猪:今はもうなんでも勝てばいいのですが(笑)、当時はダートという選択肢は全くなかったですね。でも好きな血統の馬を買うだけでは結果が出ませんでした。馬を買った後の調教や育成のプログラムがきちんとしたところと一緒にやらないと、なかなか走らないと思います。
梅:ご経験から学ばれたことなのですね。
猪:勉強しましたね。馬は自分で選ぶ方なので日高のセリには2000年からフルで参加しています。育成も今まではお任せしていたんですが、今は育成場にも見に行きます。だから多い時で月2回ぐらいは北海道へ行っています。育成場に行ってみると、きちんとトレーニングしているかどうかがわかるんですよね。それで育成場を選んだり変えたりしてきました。
梅:任せきりではなくてご自身で判断されるんですね。
猪:途中からそういう風になったんですけど、角居勝彦元調教師の影響が一番大きかったですね。角居さんは出会ってからずっと北海道を一緒に回ってくれました。育成のことなどを感覚的に話されますし、馬の悪口も絶対言わない方なので、「こういう馬がいいです」ともなかなか言ってくれないんです。最初は聞いていてよくわからなかったのですが、調教中などに「こういう馬は大丈夫ですよ」と言ってくださることがあって、しばらくするとその感覚がわかるようになりました。

角居勝彦元調教師(左から二人目)とは、とりわけ親交が深く、
猪熊さんの馬主生活を語る上で欠かせない人物の一人だ。
初めて重賞を勝ったアントニオバローズとの思い出

梅:思い入れのある馬は?
猪:JRAで最初に重賞を勝ってくれたアントニオバローズですね。2006年生まれで2009年の日本ダービーで3着になったんですけど、直線を向いた時にトップに立って、勝つんじゃないかと思いましたね。でも、そんな甘くはなかったですが。日高のセレクションセールで最初に見て、母を三代遡るとノーザンダンサーの母がいたので、マンハッタンカフェの男の子で距離が持つからいいなと思って買いました。デビュー戦が小倉の1800mで角田晃一君が乗ってくれて、単勝1.4倍ぐらいのダントツ人気だったので、絶対勝つと思っていたら、レースで馬が物見して最初の2ハロン目が10秒7とかになって、直線で脚が持たなくて負けてしまった。でも本当に走る馬で、3戦目でシンザン記念を勝った時には、重賞を勝つのがこんなにも嬉しいんだと実感しました。
「アントニオバローズ」は、父:マンハッタンカフェ、母父:Kingmamboという血統だ。
写真は2009年1月11日に京都競馬場で行われた、第43回シンザン記念(GIII)を優勝した時のもの。
梅:その後クラシックに進むんですね。
猪:その後、弥生賞を使う話になったんですけど、挫跖になったので、パスして皐月賞からダービーに向かうことにしました。皐月賞では角田君が「ダービーに合わせた乗り方をしていいですか?」と言うので、後ろから行って9着でしたが、それでも彼は自信満々に「ダービーは勝ちますよ」みたいなこと言ってましたね。ダービーも3着だったので、僕からすれば「ありがとう」だったんですが、本人はぶ然としていて、本当に勝ちたかったんだと思います。その後すぐに彼は騎手を引退して調教師になったわけですが、アントニオバローズと出会ったので引退を1年遅らせたと言っていました。
梅:オーナー冥利に尽きますね。
猪:アントニオバローズはダービーの後に調子崩したんですよ。喉の疾患があって息がもたないから1400mのレースに使ったんですが、結局手術することになって北海道に戻しました。それで手術は無事に成功したんですが、栗東への輸送中に誤嚥で亡くなったんですよね。今だと輸送の際には中継点でひと休みさせるのですが、当時は直行便で行ったので、その分、馬に負担がかかったようです。僕も当時はそういう知識がなかったし、今ほどケアも進んでいませんでしたね。
梅:辛かったですね。
猪:2009年は後にウィリアムバローズの母になるダイアナバローズもオークスに出走しました。だからダービーとオークスに出走できて、本当にいい経験もさせてもらえました。
念願の日本ダービーオーナーに
梅:さきほど角居先生の話が出ましたが、角居先生と猪熊オーナーといえばロジャーバローズがいます。
猪:セレクトセールの前に角居さんと一緒に全頭見ながらコメントを聞いていたのですが、うちの社員がその内容を元に○とか×とか△とかメモしていて、ロジャーバローズが花丸だったんです。他にも欲しい馬はいたんですが、その時はロジャーバローズの上場番号が早くて、たまたま買えちゃったので、他はもういいだろうっていうことになりました。日高の馬で8000万円ぐらいだったので高かったんですが、母系にジェンティルドンナがいて、1月生まれで馬体も立派でしたから8000万円までなら行こうって言っていたら、ちょうどその予算で買えました。
梅:その後、デビューして日本ダービーに進みました。
猪:石川達絵さんのキセキが凱旋門賞に行くので、角居先生からロジャーバローズを帯同馬として連れて行きたいという話がありました。申し込みの締切の日に「いいですよ」と答えたら、京都新聞杯で2着になりました。すると角居先生から「2着だとダービーに行けるかもしれないから、行ってもいいですか」と言われて、また「じゃあどうぞ」って答えたら、ダービーに出て本当に勝ってしまった。
「ロジャーバローズ」は、父:ディープインパクト、母父:Librettistという血統だ。
写真は2019年5月26日に東京競馬場で行われた、第86回東京優駿(GI)を優勝した時のもの。
単勝12番人気を覆す激勝で、約7,000頭を数える優駿たちの頂点に立った。
梅:オーナーとしてダービー制覇は思い描いていたのですか?
猪:目標に掲げてはいたものの、どこかで「ダービーなんて取れない」と思っていたところがありました。JRAで最初に勝った馬がブラッドバローズというシングスピールの子で、京都2000mを園田所属時代の岩田康誠騎手で1着になって、報知新聞に「来年のダービー候補5頭」と書かれたからダービーも取れるんだろうなと思ったら、その後全然ダメでしたからね。だからロジャーの時もダービーには出たけど12番人気だったので、スタートだけライブで見て、あとはテーブルの方で、テレビで見ていました。4コーナーでいいところにいたから、これは3着に来ると思ったらそのまま勝ってくれて。勝つ時ってこんな感じなんだなって思いましたね。
梅:1枠1番で浜中俊騎手でした。
猪:京都新聞杯では、別の騎手を予定していたんですが、その騎手が騎乗停止か何かで浜中騎手に乗ってもらうことになりました。そこで2着になり、角居先生から「ダービーで騎手を変更すると勝てないというのがあるから、浜中君で行かせてくれ」と言われたので「じゃあどうぞ」と答えましたね。大逃げするリオンリオンの後につけようという作戦だったらしくて、それが的中しましたね。浜中騎手はおじいちゃんからダービーを取れと言われていて、そのおじいちゃんが亡くなったあとだったので感無量だったと思います。
梅:勝った時の猪熊オーナーのお気持ちは?
猪:僕も泣いていましたね。やっぱりダービー取りたいと思って馬主になったけど、ダービーなんか取れないと思っていたので。表彰式もすごい数の観客の前で行われたので、やはりダービーは違うなと感じました。
梅:ダービーオーナーになる前と後では、やはり景色が違いますか?
猪:そうですね。馬を見る時もダービーを勝ってからは、いろんなレースを勝ちたいと思うようになってきました。今は世界的にもダートの方が賞金が高いし、長く使えますから。
梅:好きな馬のタイプも変わりましたか?
猪:それは変わってないですね。走る馬が好きなので(笑)。馬が厩舎から出てきた時に「これいいな」って思った馬はやっぱ走るような気がします。あとブラックタイプは見ますね。まずそこでふるいにかけて、次に顔や全体のシルエットを見ます。
Afterword
梅:お話を伺っていると、いろんなご経験をされてきたのですね。
猪:阿部雅一郎さんが以前、「10年に1回はいいことがあるから、諦めないで競馬をやるんだよ」っておっしゃっていたんです。ヒシアマゾンの後のヒシミラクルとか、約10年周期で出てくるらしいんですね。僕も2009年にアントニオバローズが重賞を勝って、2019年にロジャーバローズがダービーを勝った。だから続けていかないと楽しくないなとも思います。
梅:他の馬主さんにも勇気を与える言葉かもしれませんね。
猪:10年我慢して馬を持ち続けるのがやっぱりいいと思いますね。ロジャーの後はアランバローズが東京ダービーを勝ってくれました。薄い馬でしたが、ただ顔は良かった(笑)。デビューした後4戦で全日本2歳優駿を勝って、ケンタッキーダービーのオファーも来たほどでした。ゴールデンバローズもUAEダービーで3着になったりして、「ダービー」という名前のレースでは馬券に絡んでくれる馬が多いですね。だからというわけではないのですが、胴が詰まっているような、短距離馬はあんまり好きじゃないんですよ。
東京都品川区に本社を構える、株式会社バローズ。
別室には愛馬たちが獲得した、優勝レイやトロフィー、賞状や写真などが所狭しと飾られており、その様子は圧巻の一言だ。
ここでは猪熊さんの輝かしい馬主生活を振り返ることができる。
梅:確かにバローズさんの馬は短い距離のイメージはあまりないかもしれません。
猪:北九州記念を勝ってサマースプリントシリーズで優勝したアレスバローズぐらいですかね。今までは2000mぐらいの馬が多かったのですが、これからダートも行けるような馬が出てくればいいかなと思っています。
梅:そのあたりが今後の目標ですか?
猪:サウジ、ドバイやアメリカで勝てるような馬を持ってみたいですね。現在、海外のダートレースに挑戦できそうな馬が2頭います。マイルチャンピオンシップで2着になったエルトンバローズは、ダートもいいんじゃないかと思っていて、実際に西村淳也騎手も、走り方からもダートをこなすんじゃないかと言ってましたね。東海Sを勝ったウィリアムバローズもワンターンの1800mは合うと思います。ただ、もちろん選ばれなければ行けないですからね。

「エルトンバローズ」は、父:ディープブリランテ、母父:ブライアンズタイムという血統だ。
写真は2023年10月8日に東京競馬場で行われた、第74回毎日王冠(GII)を優勝した時のもの。
梅:国内だとダートの番組が限られていますもんね
猪:そうなんです。香港に行く予定だったんですがパスしたので、2025年の海外だとサウジかUAEしかない。2024年も芝のレースですが、アイアンバローズがサウジとドバイに遠征しました。
写真は、2024年12月8日にシャティン競馬場で行われた、香港国際競走の一つ、香港マイル(GI)に、
石川達絵さん所有のソウルラッシュがジョアン・モレイラ騎手騎乗で出走した時のもの。結果は2着惜敗。
悔しくも多くの関係者と交流が深まった一日となった。
梅:国内は大きなレースが限られる時期です。
猪:やっぱり海外だと夢がありますよね。サウジカップの賞金は15億円もあるんですから、出るだけでも出たいですよね。あとはアメリカのブリーダーズカップを走る馬も出てきてほしいです。もし出るならば、チームを組んで勝ちに行きたいと思います。
STAFF
direction・edit|Kenichi Hirabayashi(Creem Pan)
Writer|Kakeru Hori







































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